大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和62年(う)62号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役四年に処する。

原審における未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入する。押収してある刺身包丁一丁(当庁昭和六二年押第二五号の一)を没収する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人辻公雄作成の控訴趣意書及び控訴趣意補充書記載のとおりである(ただし、心身喪失、心身耗弱とあるのを心神喪失、心神耗弱と訂正する。)から、これらを引用する。

論旨は、原判決の事実誤認及び量刑不当を主張するので、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をもあわせ検討し、以下のとおり判断する。

一本件傷害と被害者の死亡との間の因果関係に関する事実誤認の主張について

論旨は、原判決は、本件傷害と被害者の死亡との間に因果関係を認めたが、右死亡が右傷害の結果生じたものか、又は三回にわたつて行われた開腹手術の不手際によつて生じたものかは、判断することができないので、本件傷害と被害者の死亡との間に因果関係を認めた原判決には事実の誤認がある、というにある。

しかし、右被害者の治療に当たつた医師砂原右欣は、司法警察員に対し、「本件傷害は、腹壁部から深さ一〇センチメートルあり、横行結腸と十二指腸を貫通し、さらに右腎臓の動、静脈を切断しており、本件当日の昭和六一年二月八日に直ちに手術をしたが、その後経過がよくなく、腸管の壊死が進行したので、同月一〇日右壊死した腸管を約一メートル切除する手術をし、一応小康状態となつた。しかし、被害者には動脈硬化症の持病があり、かつ本件傷害により右腎臓の機能が停止していたので、生命を維持できるかどうか不明の状態であつた。同月一七日ごろ吻合部の縫合不全により腹膜炎を併発したので、同月一九日三回目の開腹手術をしたが、腹膜炎が悪化し、同月二五日死亡した。被害者の直接の死因は、本件傷害により汚物が体内に回つて腹膜炎を併発したことにあるが、本件傷害により右腎臓の動、静脈を切断して大出血を起こし、体力を低下させたことも原因となつている。」旨供述しており、その供述に不自然、不合理な点はないこと、被害者の死体の検案をした原審証人入澤淑人も、「手術はうまくいつていた。」とし、結論として、「一番通常に考えると、被害者の直接の死因である腹膜炎は、手術の原因となつた刺創が原因だろうと考えられます。」と証言していることに徴すると、本件被害者の死亡は、三回にわたつて行われた開腹手術の不手際によるものではなく、被告人が被害者に負わせた本件傷害によるものというべきである。したがつて、本件傷害と被害者の死亡との間に因果関係を認めた原判決は相当であり、原判決に所論の事実誤認はなく、論旨は理由がない。

二心神耗弱ないし心神喪失に関する事実誤認の主張について

論旨は、被告人は、本件当時心神耗弱ないし心神喪失の状態にあつたのであるから、これを認定しなかつた原判決には事実の誤認がある、というにある。

そこで判断すると、関係各証拠によれば、被告人は、交通事故で受傷し、昭和六一年二月三日原判示八幡中央病院に入院したが、同室者の辻井忠義がいびきをかくことなどが気になり、眠れない夜が続いたので、同月八日午前九時三〇分ごろ右病院を出て自宅に帰り、家にあつた酒や外で買つてきた酒合計日本酒約五、六合を飲んだこと、その際、実父の山本重夫に対し、「二階のおれの部屋に誰か来て暴れてけつかる。」とか、「外に誰かおれのとこの家を砕きに来てけつかる。えぐい音がしている。」とかいう不可解なことを言つたりするなど、被告人に幻覚症状が認められたこと(なお、原審鑑定人中山宏太郎の鑑定書によれば、同鑑定人は、その時点では、被告人に幻覚症を来すほどの意識の解体現象が見られた、とする。)、被告人は右のように飲酒したのち、病院へ帰るため家を出て、午前一一時三〇分ごろ床屋に行つて散髪をしてもらつたが、捜査段階の初めにおいてはこの点を思い出していないこと、被告人は右床屋を出て歩くうち、病院に帰つてもこれ以上眠れない日が続くことは耐えられないと考え、同室者の誰でもよいから包丁で刺して思い知らせてやろうと決意し、荒物店において本件刺身包丁(刃体の長さ約一六・四センチメートル)を二、五五〇円ほどで買つたが、捜査段階の初期においては、右包丁を知人の経営している吉本酒店において三八〇円か四〇〇円で買つた旨供述していること、被告人は同日午後零時四五分ごろ前記病院の自己の部屋に戻るやいなや、いびきをかく辻井忠義が在室していたにも拘わらず、同人に対してではなく、最初に目に入つた入口近くの同室者の小平義松に対し、同人はいびきを全くかかないのに、同人を刺してやろうと考え、そのベッドに近づくなり、いきなり前記包丁で同人の腹部を突き刺したこと、被告人はその後も同室者の上田二三男のベッドに近づき、同人に対し、「八幡にもこんな人間がいることを覚えとけ。」などと言つて右包丁を突きつけたが、同人が抵抗したため負傷させるまでには至らなかつたこと、被告人はその後同室者の寺西忠一に対し、「一本出せ。」などと意味不明なことを言つたりしていたが、看護士の横山文男が来ると、素直に同室を出たのち、警察官に逮捕されたこと、被告人は前記のとおり捜査官に対し、客観的に存在する事実について供述しなかつたり、或いは記憶違いにより誤つた供述をしたりしてはいるが、本件犯行及びその前後の事情につき概ね正確な記憶を有し、これに基づいて捜査官に対し供述していることなどの事実が認められる。そして、以上の諸事実、特に、被告人はいびきなどがうるさくて眠れないことを理由として前記鋭利な刺身包丁でもつて人を刺したというのであつて、被告人のいう犯行の動機は、通常人のそれとしてはまことに異常であり、(なお、前記原審鑑定人中山宏太郎の鑑定書によれば、被告人は、頸椎捻挫の傷害を負つた交通事故当日の二月一日より断酒しており、その間に、頭痛や頸部痛という頸椎捻挫の症状の他に、不眠、焦燥、聴覚過敏を来しており、これが病室内のいびき及び些細な物音に対し過敏に反応させ、同室者に対する焦燥、立腹を引き起していたもので、被告人は断酒による離脱症状にあつた、という。)そのうえ、被告人はいびきをかく者を刺そうとしたのではなく、刺す相手は同室の者であれば誰でもよかつたという点でも極めて異常であること、しかし、被告人はいびきをかいたりして被告人の睡眠を妨げる同室の者が憎かつたのであり、同室者以外の者(例えば看護士や警察官)には全く危害を加えようとはしておらず、その点においては、被告人の本件傷害行為は了解が全く不可能であるとはいえないこと、被告人は本件犯行の二時間ほど前に多量に飲酒したのち、前記のような幻覚症状を来しているが、右幻覚症は一過性のものであつて、被告人は本件犯行時には右症状にはなかつたこと、被告人には、本件犯行及びその前後の事情についての記憶の欠落及び誤りが存するものの、大筋の事情については記憶を喚起しえていること、以上これらの点に加えて、前記原審鑑定人中山宏太郎は、「本件犯行当時、被告人は単純酩酊状態にあつた。ただし、交通事故により余儀なくされた入院とそれにともなう断酒による離脱症状の影響が動機の形成に強く影響したこと、犯行直前に一過性幻覚症を来すほどの意識の解体現象が見られたがこれは十分稀なことであることを考慮し『判断・統御能力の著しい低下』を認めるか否かは裁判所の総合的判断に待つ。」旨鑑定するところであり、また、同鑑定人は、当審において、本件犯行時における被告人の精神状態について、精神医学の見地からみて、是非善悪の弁別能力等が著しく減弱した状態であつたと考えても、あながち不合理な見解とはいえない旨証言していることなどを総合すると、被告人は本件傷害致死及び銃砲刀剣類所持等取締法違反の各犯行時、是非善悪を弁別し、これに従つて行動する能力を全く欠く状態にはなかつたことは明らかなところであるが、右能力が著しく減弱した状態にあつたとみるべき合理的な疑いが存するものというべきである。

なお、所論は、被告人が本件犯行時病的酩酊又は複雑酩酊の状態にあつたというが、前説示の各事情を総合して判断すると、原審鑑定人中山宏太郎が、犯行当時の被告人の酩酊状態について、病的酩酊の点については、「この犯行が、数日間の入院中の同室者の鼾と物音によると被告人の主張する不眠の苦痛から生じた同室者に対する憤怒によるものであることは確かである。つまり犯行前から犯行自体の体験の意味関連が一貫して保たれており、病的酩酊を考える余地はない。」とし、複雑酩酊の点についても、「被告人の本件犯行に関する記憶は、上述のごとく、かなりな部分細部にわたつてたもたれており、複雑酩酊に該当しない。」とそれぞれ鑑定していることは相当であつて、本件犯行当時被告人は病的酩酊ないしは複雑酩酊の状態にはなかつたものというべきである。

以上のとおりであるから、本件傷害致死及び銃砲刀剣類所持等取締法違反の各行為につき被告人の心神耗弱を認定しなかつた原判決には事実の誤認があり、それが判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は右の限度において理由がある。

よつて、量刑不当の論旨に対する判断をするまでもなく、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により次のとおり自判する。

(罪となるべき事実)

原判決「罪となるべき事実」の末尾に、「なお、被告人は、右第一、第二の各犯行当時心神耗弱の状態にあつたものである。」と付け加えるほかは、原判決記載のとおりであるから、これを引用する。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法二〇五条一項に、判示第二の所為は、銃砲刀剣類所持等取締法三二条三号、二二条にそれぞれ該当するところ、右判示第二の罪につき所定刑中懲刑を選択し、以上は心神耗弱者の行為であるから、刑法三九条二項、六八条三号によりそれぞれ法律上の減軽をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、重い判示第一の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で、被告人を懲役四年に処し、同法二一条を適用して原審における未決勾留日数中二〇〇日を右の刑に算入することとし、押収してある刺身包丁一丁(当庁昭和六二年押第二五号の一)は、右判示第一の犯行に供し、同第二の犯行を組成したもので、被告人以外の者に属していないので、同法一九条一項一号、二号、二項本文を適用してこれを没収し、原審及び当審の各訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書によりこれを被告人に負担させないこととする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官家村繁治 裁判官梨岡輝彦 裁判官田中 清)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例